死と超越

所見・偏見・エトセトラ

(^_^;)

悪とは何なのか、悪とは、一体......。誰か教えてくれ誰か頼むから俺に教えて欲しい頼む頼むよ......かっぱえびせんあげるからさ......。かっぱえびせん美味しいよね、最近久しぶりに食べて改めておいしさに感動したもんね、あれ.......。表面上取り繕う、果たしてそれが正義なのか。いや、別に正義を行使する必要はありませんが......。正義とは何なのか? ブタ箱に容赦なくぶち込み、ここにいる全員の人生を滅茶苦茶にすることは果たして正しいのかと問われるとそうでは無い気もしなくはないが、だからといってこの巨悪を放置するわけには......。こんな状況が長く続いたら、私は遅かれ早かれ狂ってしまう......。やはり全員まとめて葬るしかないのだろうか?

一方ではこんな感じだが、他方ではかなり上手いこと人生を進めている気がする。そのギャップが更に私を狂気へと向かわせている気がしてならないのだが......。私は幸福なのだろうか? 魂の半分が不幸に、もう半分が幸福につながれて、牛裂きのようになっている現状。まあ魂は存在しないけどな! 人間が魂と呼んでるのは論理回路の集積であって、外界からの刺激に応じて出力し返すただのタンパク質と脂質と核酸の塊であって、自由意志とかねえから。死ね!(Ascension)幸福とは、幸福とは、悪とは、幸福とは、悪とは、悪とは......。

思考の自動記述に近いなにか

どうやらもう八月らしい。あと7ヶ月で大学生活が終わると思うとため息をつかざるを得ない。大学院進学はするつもりなのだけれど。

 

ここ最近の一番の変化と言えば、小山田圭吾が有名になってしまった((かなり事実が歪曲されてしまっているようだがせいで、Cornelius Tシャツを着て外に歩くことがめちゃくちゃ楽しくなったことである。これを着ることで障害者差別のレッテルを貼られ、背中から刃物で刺されることを密かに望んでいる節がある。

だが私の期待とは裏腹に、そのような行為をする人間はいないので、多くの人間にとって非常にどうでも良いことだったんだろうとも思う。あれ以来五輪関係者の過去を掘り返すのが一部で流行し、公人には清廉潔白さが求められていると言うことがよくわかったが、高度に情報化した現代にそれはキツかろうとも思う。俺もいつか過去の言動を掘り返されて炎上したりするんだろうか。今自分がめちゃくちゃ有名になる前提で話していますが、多分有名にはならないので杞憂だと思います。もしくは過去の言動を過度に掘り返すこと自体が倫理的にアウトになってるかもしれないな~。しかしそれは大衆の知的水準がある程度より上である前提の話かもしれない、大衆はカス。とするとキャンセルカルチャーは今後の反差別運動の主軸になっていくのかな。

 

しかし差別というのは本当になくなるのかしら。まあ中流階級以上では表面的にはなくなりそうな気がしなくもないけど。ただ差別と差別じゃないものの区別をどれだけの人が共有・判断できるか甚だ疑問である。

さらに(非常に個人的な話だが)理性では差別するつもりはなくても、電車内とかで見るやべー奴を感情的には差別してしまう場合がある。ようするに普通や常識といった観念が人の中にある限り、異端を発見し忌避してしまう気がするのだが、これは差別に当たるのだろうか?

とにかく全人類理性に基づいたコミュニケーションをするしかない。まあ人類には無理だと思いますが.......。滅ばないかな.......。

極端な話、全員が全く同じクローンになる(完全なる均質化)か、全く共通点のないカオスな状態(完全なる異質化)にならないかぎり差別は亡くならないのではないだろうか。そこで私が提案したいのが、前頭葉の切除だ。こういうくだらないことを考えてしまうからいけないのであって、高度な思考ができない、原始的な快・不快のみを判断できる状態にかえり、あとはマイクロチップを埋め込んでビルゲイツにでも操作して貰えば良いんじゃないでしょうか。つまりワクチンを打ちましょう!

オムライスおいしい

今日はライブハウスに行かざるを得なかった。

エレベーターで地下に行き、ドアを開けるとヤニの匂いが鼻を突いた。中では30人くらいがひしめきあいライブを楽しんでいた。

皆マスクもせず騒いでおり、全員今すぐ死なねーかな、と思ったが、金をもらいに来たので仕方なくその場に数分留まった。一刻に早くその場から立ち去りたかったが。

なんというか、騒ぎ方が下品で中学時代のカスみたいな記憶を想起させるので、金輪際この手の人間には関わりたくないなと思うくらいには不愉快なのである。

待ち人は、その日は手が空いてるとのことだったが、結局持ち回りで忙しく会話すら出来なかった。

全然お前忙しいやん......と思った私は、代理の人から金を貰い、このクソ忌々しい土地から離れた。

 

その後街を歩いていると、ワクチン反対運動をやってる人たちがいた。この世界は隅から隅まで狂ってるのか?そうだよな。

コロナは茶番で、ワクチンは危険らしい。当然マスクもしていない。気の弱そうな女の人が数人のデモ隊に囲まれ、マスクを外して話を聞いていた。

彼ら(というか陰謀論者全体に言えることだが)には新興宗教に似た危うさを感じてならない。

関わるとめんどくさそうなので(あと滑稽すぎて笑いが堪えきれないので)、早急に横を通り抜けようとすると、強い語気で「マスクも危険ですよ」と女性に声をかけられた。彼女の目は狂信者のそれだった。何を言っても無駄とはこのことなのだと直感的に理解した。そして爆笑した。冷笑だったかもしれない。

 

少し離れたところでは、反ワクチン派の歌手っぽい人が、久保田利伸 with ナオミキャンベルの「LALALA Love Song」を歌っていた。歌は上手かった。

 

 

そして僕はというと、なんかもう、さっさと貰った金を手放したくなった。(手放す予定ではあったが、気分として)

 

私は金を高めのオムライスに換えた。

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おむおむうまうま

さっき見た二つの集団と相容れることは根本的に不可能なんだろう。(別に理解したくはないが)今までのライフステージで切り捨ててきた人間の末路があれなのか?これは些か自意識過剰だろうか。ただ、ああいう人たちを守るのは本当にバカらしいと思う。誰かポアしてくれ。そんでもってひろゆきのケツ毛とかに転生して欲しい。こういうバカ共の自由を保障することで我々の自由が保障されるなんてそんなことは理性の上でわかりきってるが、こいつらを全員牛裂きにしたいとも思っている自分がいる。

まあ家にこもらず外でオムライス食ってる自分も同類なのかもしれないなとも思うがな。

何かもう全てがどうでも良くなってきた。プログレス発表の準備全然進んでないし。あちこちに放火して爆笑したい。「全集中!笑笑」とか叫んで無差別に斬りかかったらさぞかし楽しいんだろう。あ、お星様だ、綺麗だなあ。それに比べて人間は......

 

 

 

 

メイド喫茶に行った

メイド喫茶、一度は行ってみたいですよね。なんとなく。

でも萌え萌えキュンとか言われたり、猫耳のカチューシャを装着させられた日には、あまりの気持ち悪さに店を燃やしてしまいかねないですよね。なので私は躊躇していました。

しかし我々の住む美しい国日本(なんと四季がある!)には赤信号 みんなで渡れば 怖くない」という素晴らしい言葉があります。ということで、むさくるしさとは無縁でどちらかと言えばもやしや白ウドと縁がある男三人衆で行ってきました。怖くないぞ~。

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白ウド

行ったのはここ

mai-leaf.com

MaiLeafです。大須メイド喫茶の中で一番評判がよろしいのです。そして10年も経営が続いているということで、これはもう安心していいのではないかと思いました。

更に素晴らしいのがこれ。

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おまじないとかされた日には皿を叩き割ってしまう気がするのでありがたいですね~。というかおまじないとかのメイド喫茶文化マジで謎ですよね(おそらくエロゲが出典だと思いますが、だとしてもその発想はどこから来たのだろう)。英国家政婦がにゃんとか言うわけないし猫耳付けたりしないだろ。

 

そして店内へ。
しかし私は目前にして日和ろうとしました。人間怖いから。私は生粋の人見知りで、知らない人間に会うと頭痛に見舞われ、一日寝込むくらいには人間恐怖症なのです(ガチ)。なんでメイド喫茶なんかに行こうとしたんだろう。メイド喫茶って金払って知らない人間につまらない自分の話を聞かせて強制的に会話させて楽しむところですよね?向いてなさすぎる。いやだよ~。率先して中に入ったとして、外にいる残りの二人が裏切ってどこかへ行ってしまったらどうしよう。燃やすしかない。

 

まあ結局中に入りました。

 

すると「お帰りなさいませ旦那様」と言われました。本当に言うんだ。既に面白い。

さらに面白いのが、言い慣れてしまったのか若干棒読みになってしまっている点であります。接客業者は定型文を流れ作業で発声しがちですが、メイドでもなるというのは大きな発見でした。

 

店内は英国貴族の屋敷を感じさせる装飾が施されていてすごくいい感じです。メイド服もチープさを感じさせない精巧な出来でした。友人曰く「腕の部分に切れ込みが入っていて、二の腕が見えてすごくいいね」とのこと。こういうこと書いてると本当に気持ち悪いですね。でも本当のことなのでしょうがないです。

ちなみに50過ぎのメイドとかが出てくるんじゃないかと若干ひやひやしてましたが、別にそんなことはなかったので安心しました。

 

席に着くとメイドさんがメニュー表の説明をしてくれました。

なるほどたしかに紅茶は種類がたくさんあってどれもおいしそうでした。お酒やご飯も提供してるみたいです。ちなみに英国貴族屋敷みたいな内装なのに、店員の口調は現代の女子大生そのままなのでちょっとシュールです。そこは統一しないんだ。

そしてメイドはというと、脇に挟んだお盆を落下させたり、ドジ属性を爆発させておりました。普通ならここで萌えたりするんでしょうが、私はひねくれているのでこれが天然なのか演技なのかを考えていました。が、自分の中でのメイド観は全て「それでも町は廻っている*1に依っているため何の解決にも至りませんでした。ただ、あまりにもステレオタイプにオタクナイズされたメイド像の連続すぎて爆笑してしまいました。本当に声がでちゃった。本当に申し訳ないです。

 

そんなこんなで我々はスコーン、フィッシュ&チップス、ガトーショコラ(自分)、そしてなんか紅茶(名前忘れた)を注文し、しばしメイドと歓談......するんでしょうね普通は。しかし我々は青木隆一郎の修学旅行の音声を聴いてげらげら笑い転げるような、一般的な人間とは一線を画する笑いのツボの持ち主たちなので、そうはなりませんでした。

youtu.be

周りを見ると、我々の席以外では客とメイドが(もっさりオタクでさえ)楽しげに会話しているではありませんか......!この差は、なんだ(コミュ力)。

ちなみに僕は他人の顔を直視できないためメイドの顔を一切見ていなかったので、それが原因だと思います。死のうかな~♪

 

とか言っている間に紅茶やらが届きました。紅茶は本当においしかったです。

ポットにはティーコージー(ポットを保温するやつ)がついてて、ちょっと嬉しかったり。

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ティーコージー

メイドという設定なので紅茶もちゃんと注いでくれます。おいしくな~れとか言わずに黙々と注いでくれるので本当に良い。

固形物(スコーン、フィッシュ&チップス、ガトーショコラ)は固形物で、盛り付けがかなり丁寧になされてて好感が持てました。イギリス料理なのにフレンチみたい。

ちなみに私が頼んだガトーショコラにはアイスクリームが添えられ、皿にはチョコレートソースで装飾が施されており、普段ゴミみたいな食生活を送っている私にはハイソでした。ただ一つ不平があるとすれば、ガトーショコラがパサパサすぎてフォークでちゃんと切れないし、口の中の水分全部奪うので干からびて死ぬ。不平、二つかもしれない。

 

なんだかんだ言っておりますが、全体的に雰囲気の良い喫茶店だったので、また行くと思います。ディナーや酒も気になりますしね。

ただメイドさんとの会話が空気の抜けたゴムまりの如く弾まなかったのが非常に悔やまれます。いや、別にメイドさんと会話すること自体に楽しさを見出そうという気はあんまりない(ちょっとはある)んですが、自分のコミュニケーション能力の低さが本当に危ぶまれたので......。この先の人生知らない人と話す機会はいくらでもあるだろうし、毎回毎回頭痛で寝込むわけにはいかないですからね。

ということで、今後はコミュ力ありそうな友人を誘って一緒に行くことにします。オオサカ君、出番だよ! そして初対面の人間に免疫を付けるとともに、友人とメイドの会話を記録することで、初対面の人間にどのように・どのような話題を切り出しどの方向に持っていくべきか、データを採集する場として利用していきたいと思います。メイド喫茶は金払うことで見知らぬ人間と会話する機会を100%保証してくれる場所ですからね。キャバクラより安いし、キャバ嬢が飲んだ酒代とか払わなくていいですからね。

ということは、顔覚えられる前に行くのやめるんだろうな。うん、覚えられたら行くのやめよう。そしてこういうこと考えてるの本当に気持ち悪いですよね。死のうかな♪

 

 

 

 

*1: 下町の喫茶店を店主のババアの思い付きで突然メイド喫茶に改装するが、作中人物一人を除いてメイド喫茶が何であるかを誰も知らない漫画

ブログを放置して1年、私は何をしていたのか。そう、何もしていないのである。

めちゃ久々に書きます。

今までなんで書いていなかったんだろう。今思うと不思議ですが、確実にコロナの影響はあると思います。

新型コロナウイルスの影響によりライブハウスも居酒屋も閉まってしまい、ライブと居酒屋を楽しみに生きていた僕は、家で無気力子供部屋おじさんと化すしかほかに選択肢はなかったのです。いや、確実にほかの選択肢はありました。ただ過去の私には見えなかったということです。

あまりに無気力すぎてこの世に物申す気すら起きず、特に書くこともなかったわけです。いや、ライブに行った話とか書こうと思えば書けたんですけど、ライブハウスが死に体の今書いても虚しいだけだなと思ったんですね。

まあそんな感じで、家ですることと言えば授業のpptを読みレポートを書くことだけでして、しかしこのレポートを書くだけで普通に一日が終わるので他に何をするわけでもなく。。まあ大学行くより睡眠時間は確保できてラッキーではありましたが、一日中画面と白い壁紙見てるだけだとつまんねーので、友人の通勤風景をビデオ通話で見せてもらったりしていました。今よくよく考えると、ちょっと狂気を感じます。

 

そして夏休みになるとあまりの暇さに愕然としました。いや、別に毎年あり得ないぐらい暇(遊ぶ友達がほとんどいないため)なんですが、なぜかそう感じてしまったのは、やはりコロナのせいでしょう。全部コロナの所為にできるなんていい時代ですね。

まあそんな感じで暇を持て余し、ライブハウスも居酒屋もなく特に金を使う当てがないので書籍を買いあさり続けました。この前数えたら今年度買った本がざっと100冊くらいあって怖かったです。主に出費のことを考えると。

 

このように暇を持て余していたわけですが、9月になり研究室に配属されるとそういうわけにもいかなくなりました。ちなみに研究室見学はコロナの所為でまともにできなかったというのもありますが、主に出不精というのもあり、出遅れ感がすごくて後悔してます。もっといろんなラボに行って教授と顔見知りになるべきでした。

まあ結果的にすごくいい雰囲気のラボに配属されてラッキーです(もちろん研究内容も好き)。みんな前もってラボ見学をしよう。なにがあるかわからないから......。

 

......話がそれました。配属され実験が始まりました。久しぶりに家に出るというのもあり、体にストレスがたまったのでしょうか。手が荒れました。めちゃくちゃ荒れました。

 

それが恐怖の始まりでした。

 

手荒れは手荒れの域を超え、やばいかぶれみたいになり、いやこれはかなりやばいのでは?と思った時には時すでに遅く、常に組織液が体外に浸潤するようになりました。これめちゃくちゃ痛くて夜まともに寝れなかったです。みんなはこうなる前にちゃんと医者に行ってください。

その後自家感作性皮膚炎というものになりました。これは手荒れ部位の皮膚片や病原体に対する免疫が暴走し、体中で炎症が起きるという皮膚炎です。顔はうまれたてほやほやの赤ちゃんのように腫れ、おちんちんはボールのように腫れます。いいですか、おちんちんがボールのように腫れるんですよ?かなりホラーですよね。別におちんちんと書きたいわけではありませんよ。これは皮膚炎は怖いぞ、という注意喚起のためです。

ボールのように腫れると歩くとき擦れて痛いので、歩くときは自然にガニ股になります。そこで私は、街中でガニ股の男性を見かけたら、「ああ、こいつは自家感作性皮膚炎なのかもしれないな」と思うことにしました。人間がちょっとだけ優しくなった瞬間です。

 

そんな感じで体的にはボロボロだったのですが、総合病院でクスリを貰ったらほぼ治りました。現代医療はすごい。流石。反ワクチン派の人間は死ね!(突然の思想)

 

そんな感じで元気になったので今この文章を書いています。嘘です。

本当は、研究室のポスドクや、新しくサークルで会った人と仲良くなって、この一年の遠回りは無駄じゃなかったと思えるようになったから......。

 

我ながら良い話でしたね。自家感作性皮膚炎の下りは本当です。それでは。

 

渡辺翔太トリオのライブに行った

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行きました。これに関しては言葉に出すのもおこがましいくらい良かった。本当によかった。今回¥5000ちょいの値段だったんですが、今後こんなリーズナブルな価格で観ることはできないんじゃないかな?と思ってしまうくらい良いライブでしたね。これは2020年で一番良いライブです。まだ始まったばかりですが。

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観てて改めて思ったんですが、やっぱジャズは録音よりもライブですねー全てが違いすぎる。ちゃんとライブを見ようと思いました。そのためにもお金が必要です。でも稼ぎたくないので誰かライブのチケット買って誘ってください。

 

ライブでは色んな曲を演奏していただきましたが、その中でもTime lapse とMilhaudという曲がお気に入りです。単純に夕飯時に聴いてて心地が良い曲なんですな。

 

そんなこんなで本編が終わり、一部の悪ノリがすごい客のおかげでダブルアンコールまで観れて大満足でした。ダブルアンコールって本当に存在するんですね〜嬉しい。

 

客の年代は結構幅広くて良かったんですが、若者が基本(元)ジャズ研の人間しかいなかったのはちょっと残念ではありますね。ジャズ研以外の人も来て欲しいよね〜という気がします。

これはめちゃくちゃどうでも良い話ですが、友人とライブに行くのが数億年ぶりだったので大変新鮮でした。慣れてないので横の人が何してるか微妙に気になってしまいますね。

あと僕はブルーノートの精算方法を理解していなかったので、理解している人たちが先に行ってしまったのでパニックになり、片っ端から彼らに電話をかけました。出ない。あーーーー!????友人がチケット買った伝票持ってたので、生産時にそれが必要だと思ってたんですが、なんか普通に自分の伝票持って行けばよかったぽいです。そうですか。

 

ブルーノートも初めていったんですが、数あるライブハウスの中でもちゃんと飲食も充実してて、レストランとしても良いなと思いました。ただちゃんとしすぎて水分補給も兼ねて頼んだピンクグレープフルーツジュースが、おそらく果汁100%かそれに近しいものだったので浸透圧で体内の水分が全て持ってかれました。喉がカラカラ......。烏龍茶を頼むのが一番賢いなと思いました。安いし。

 

ブルーノートのいいところはつまみ系の食品の量が多いところです。多分もっといいところは沢山あります。でも一人が頼んで四人食べてちょっと余るくらいには量があるんですよ、スパイシークルクルポテト。

スパイシークルクルポテト、面白くないですか?ブルーノートって結構ちゃんとしたレストランの体をしているので、そこにクルクルというファニーな単語がメニュー表に載ってると笑っちゃうんですよね、笑っちゃうんです。笑えよ。

迷MV「Illegal Utopia Nagoya」は如何にして誕生したのか

拙作ではありますが、「Illegal Utopia Nagoya」のMVが公開されました。

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うーんなんだこれは?

何から何までカオスとナンセンスとを詰め込みまくったので意味がわからないと思います。なので曲とMVの解説をさせてほしいです。(CDに曲紹介が載っています(youtubeの概要欄のやつ)が、まともに紹介していないというのもあります。)

 

ただ一人だとさみしいので、イマジナリーフレンドの今時成美(いまじ-なるみ)とのインタビュー形式でやりたいと思います。

 

曲解説

今時成美(以下"今時"):今回の曲、正直コンピの他の曲と比較しても意味がわからないんですが、何がしたいんですか?
 
Red Cat Theater(以下"赤猫"):名古屋という概念を表そうとした結果、こうなりました。名古屋という都市は非常に見栄を張りがちな都市で、いろんなものを吸収するのはいいのですがそのどれもが中途半端で実に空虚です。アイデンティティがないのがアイデンティティといっても差し支えないと思います。*1またこの一年名古屋を巡ることで、名古屋ではアングラが栄えていることが判明したのですが、どれも内輪でやっている感が強く、名古屋人の内向性の強さを再認識しました
トリエンナーレ問題で名古屋に焦点が当たった今、改めてこれらを表したかったのです。
 
今時:なるほど
 
赤猫:......というのが制作時(8-9月)のお気持ちでした。が現在(執筆時1月)トリエンナーレ問題も下火になり、「あーそんなのあったね」という印象になってしまっているのも否めないところであります。でもまあ、当時はそういう気持ちがあったから、名古屋っぽい音("スジャータ"とか"つけてみそかけてみそ"とか)を入れたんです。でそれをニュース仕立てにしてしまいました。
 
今時:時事問題の宿命ですわな......。でも明らかに名古屋関係ない音も多くないですか?

赤猫:「Illegal Utopia Nagoya」の制作を開始したくらいから、仲間内で先に述べたような「名古屋(固有名詞)」の特徴を「名古屋(形容詞)」とした、新たな「名古屋」定義づけが自然発生的にされました
(以下形容詞としての名古屋をNagoyaticと呼称)。
そうすると日本という国が実にNagoyaticであることがわかります。この国発祥・発明の文化というのはあまりなく、どちらかといえば外から文化を取り入れ加工・交雑させることで新しい用途を提供することがこの国の得意技です。遡れば国風文化と言われるものは、確かに日本独自のものではあると思いますが、大陸の文化が基盤に存在し、その上に文化を構築したもの、あるいは大陸文化と土着文化とを交雑させたものであると認識させています。
しかしこのような加工文化というのは島国や中小国においては一般に見られるところでありまして、これを以てNagoyaticと称するのは些か早計であります。
 
では日本は如何にして名古屋たらしめられたのか。
それは島国の単一民族国家にして人口自然減をたどる少子高齢化国家になってしまったからだと考えます。そもそも、名古屋は三大都市圏に数えられますが、他の都市圏と比べて小さい上にその二大都市圏に人口引き抜かれまくりという地理的にカアイソウな都市であります。都市には富裕層が多く在住し、所得と学力、学力とIQには明らかな相関関係があるというのは周知の通りでありまして、そうすると関西関東には優秀な人材が引き抜かれ、我らが中京圏には関西関東に行けないカスみたいな人間と、他地方からやってきたちょっと優秀だけど関西関東には行けない中途半端な人間しか残らないのです(という仮説)。*2
これと同じようなことが日本にも起こっていますね。日本は慢性的なデフレで賃金が上がらないので新興国たる中国や先進国たるメリケンに優秀な人間を引き抜かれまくっています。近い将来日本は惨惨たる状況に陥るであろうことは想像に難くありません。いや、すでに陥っているかもしれませんが。
他にも少子高齢化による思考の硬直化=保守(≠右翼)・内向性の上昇を感じざるを得ません。若者というのは元来リベラル・ラディカル≠左翼なもので、ご老体の作ったナンセンスな文脈をぶち壊していくものですがそれが見られません。どうも島国特有のグローバルな視点の欠如や内向性が災いして、周囲の目を気にしたり、事なかれ主義に甘んじる者が多いように感じられます。
 
以上のように、今日における日本国の名古屋化は著しいものと判断します。そしてこのような流れは日本だけでなく世界においても起こっているのではないでしょうか。
そこでそのような日本そして世界の名古屋化を表すべく、名古屋に関係ないナンセンスなサンプリングを多用しています。
 
今時:うっわ急に饒舌になった、オタクか?(それ解説聞かないと何もわかんなくないですか?)

赤猫:そうです。わかる人にしか分からないネタが沢山有ります。この内輪ノリ感、Nagoyaticですよね?(ドヤァ)
 
今時:キッモ
 
赤猫:まあここまで散々名古屋を転け下ろしてますが、別に嫌いなのではなくて名古屋が大好きだからこそ転け下ろしてるわけです。別に嫌いなら出てけばいいだけの話なので。ということに製作中に気づきました。従って愛憎入り混じった作品になっていることでしょう。
 
今時:己の恋心に気づいてない小学生男子が好きな娘にするいじわるみたいなのヤメレ
 
 
今時:......で、Nagoyaが題名につく理由はめでたく分かったわけですが、Illegal Utopiaはマジでなんなんですか?
 
赤猫:Illegal Utopiaとはズバリこの曲自身のことです。
今回のコンピのテーマが「自分らしい音楽」DTMとのことだったんですが、"自分らしい音楽って何?何を以て自分らしい音楽と称するのか?たとえばDTMならではの技法としてサンプリングがあるが、サンプリングだけで構成された音楽は自分らしい音楽と言えるのだろうか?"という疑問が生じました。
 
サンプリングにも度合いがあります。例えばヒップホップにおけるラップがありますが、初期のラップはDJの合間にしていたものが独立し、サンプラーの普及によりサンプリングした曲の一部分をループしてラップするようになりました。
 
例)EAST ENDxYURI「DA.YO.NE」
(時代区分的に例として適切でない気もしますが)この曲はジョージベンソンの「Turn Your Love Around」という曲をガッツリサンプリングして、ほぼそれだけでできてます。
ただそんなことしてると著作権に触れ、訴えられたら死ぬので、【チョップ=サンプリングした音を誰の曲かわからなくなるまで細断・加工・再配置する】という技法が発明されました。今ではラップ用のフリー音源を配布してたりもするようです。
以上を踏まえると、どこからどこまでが誰の音楽かというのは非常に曖昧な問いのように思われます。
 
また音楽に限った話ではないですが、何事も新しいものが何もないところから突然生まれるというのは稀な話で、通常は過去に積み重ねたものの集積と変性によって新しいものが(ある日突然生まれるのではなく)気づいたら生まれていたことに気づくものだと思っています。サンプリングはこの「過去の積み重ねの集積と変形」の中の一文脈に過ぎないかもしれないとも思っています。
 
また、ヒップホップではないですが、United Future Organization「Loud Minority」という曲があります。
 
この曲は冒頭ミシェル・ルグランの「La Pasionaria」の冒頭で始まり、アート・ブレイキー・アンド・ジャズ・メッセンジャーズの「チュニジアの夜」のトランペットソロを拝借し、アジテーション部分はフランク・フォスターの「The Loud Minority」(なんと曲名もサンプリング!)みたいな感じでおおよそ名曲のサンプリングで構成されたような曲(しかもこの曲が制作された段階でどれも著作権が切れていない)ですが、良い曲なんですよね。
 
これらは90年代の曲で今は2020年、時代背景が違うというのもありますが、様々な表現が規制され続けている現代だからこそ、大胆なサンプリング等の挑発的な表現をしていきたいと思いこのような表現を採択しました。まあ「表現の不自由展」が芸術として認められるような世の中なら、ガソリン撒いたり人殺さない限り何しても大丈夫です。多分。
 
今時:素直にサンプリングが好きって言えば良いのに
 
赤猫:そうです(素直)。でもまあDTMやるんだったら器楽作曲ではできない技法使いたいじゃないですか。それにサンプリングばかりじゃないので......。
 
今時:たとえば?

赤猫:0分57秒からのイカれた音割れピアノは12音技法を崩しに崩して使ってますが、その裏で鳴ってる音割れてないピアノはNagoyaという文字列をある法則に従って音列に変換したものを使ってます。そしてそれを下方に移高し続けることで名古屋という都市の凋落を表しています。
またドラムはクオンタイズのズレで色々遊んでいます。例えば基本的にこの曲は基本的に八分音符を40%スウィングさせてるんですが、局所的にイーブンにしたり一六分音符の60%スウィングにしたり、それらを同時に鳴らしたりしてます。顕著な例が時報ですね。二つの時報音をLRで完全に分離してちょっとずつずらして鳴らしています。右と左でずれるというのはなんとも示唆的な気がしますね。そしてこの気持ち悪さが癖になるんじゃぐへへあへおっほっほ。
 
今時:ナメクジやゲジゲジよりもキモいですね
 
赤猫:自分のイマジナリーフレンドながら毒舌でキツいですねはっはっは(死)。
 

MV編

今時:そもそもなんでMV作ったんですか?
 
赤猫:まず一年半ぐらい前から「映像と音楽の両方があってはじめて完成するような作品作りたいなー」と思っていたんです。
そして一年後、つまり2019年の初夏に〆SAVAというヒップホップグループに一曲提供したんです。そのトラックを東京在住のとある友人(以後Oと表記)に聞かせたところ「これで映像作りたい」って言ったんですね。丁度映像と音楽の融合という目標を思い出したので、そのトラックを加筆・再構成して「Illegal Utopia Nagoya」を作りMVを作ってもらうことにしたんです。
自分の音楽に映像がつくのはとても光栄なことですし、自分の音楽を他人がどう解釈して映像にするのか純粋に興味もありました。......ついでにCDの販促もできるぞしめしめ、という下心もありつつ。

www.instagram.com

(9/30の時点でMV制作が開始され、イントロ部分は完成していた。)

 

 
 
 
一向に
 
 
 
 
納品され
 
 
 
ない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
本当はCD企画自体も11月に発売予定だったのでそこら辺に間に合うように頼むよ、って話をしたんですが、全く仕上がってこないんですよねー。それからというものクッソ催促をしたことは言うまでもありません。しかし既読がつかない折り返し連絡はない連絡があったと思えばバイト先や大学の愚痴を聞かされる始末で、一体俺は何をしているんだという虚無感が日々を襲います。とはいえ僕が激怒して良い作品が出来るかというと、それはまた違う気がしたので飴と鞭を使い分ける日々。CD発売も2ヶ月遅れたし仕方ないかなあと当時は思っていました。しかし今ではこれを後悔しています。なぜなら公式に発売時期が決定し、それに間に合わせるためには彼が帰省する年末年始(=バイトや大学で忙しいという言い訳が通用しないので、思いっきり拘束できる絶好にして最後の機会)に付きっきりで相手をしなければならなかったからです。
 
なぜ?11月にも12月にも〆切りを課したのに全てぶっちぎり、何が悲しくて俺は年末年始の深夜まで映像制作を手伝わなければならないのですか?三ヶ月の間お前は一体全体どこで何をしていたんですか?
 
そして結局年始までに完成せず、さらにそれから一週間経っても完成しませんでした。

ここで堪忍袋の緒が切れます(遅い)。
ただ怒るだけなのもシャクなので、OにOよりも上手い映像編集を施したMVを一夜にして作成し、送りつけました。
多分映像作る人は自分の作る映像に一定の自負があると思うのですが、そこにペーペーの自分がそれより上手いのをポイッと投げたら自尊心が傷つくだろうと思って実行しました。頼む傷ついてくれ。
実際僕の方が音と映像を1フレーム単位で調整してあるので編集がとても丁寧です。というのも僕は(飽きない限り)非常に慎重でかつ最悪の事態を考える人間です(ビビりとも言う)。いざという時は自分で制作できるよう、彼に催促し続けた3ヶ月の間に動画編集ソフト「AviUtl」の基本的な操作をマスターしていたのです。
まあ、こうしてMVが完成したのです。
 
今時:同情の余地はあるにせよ、コイツ根本的に人間を信用してないな......にしてもよく一晩で完成させましたね。余裕ありましたか?
 
赤猫:先ほど述べたような制作状況なのでそんなものありませんでした。だからこのMVはひたすら怒りのエネルギーが注入された怨念の塊と化しています。
とはいえ、サンプリングには妥協はしていません。元来のテーマに沿うように音楽のサンプリングネタと同じものを持ってきたり、そればかりだとくどいので、あえて違うの持ってきたりしました。またNagoyaticな日本を憂うべく、高度経済成長期やバブル期の今や失われた日本の姿と現在の日本の姿を交互に投影したりしています。*3
ま、どっかの誰かと違って俺は1日でそこらへん全部終わらせたけどな!(怨)
 
今時:コイツ相当根にもってんな~......
 
赤猫:しかしまあMV勝手に完成させたことを告げたら「了解した」の一言で済まされたのはなかなか釈然としないですね。普通なら謝罪の一言二言でも言うと思うんですけど。
そもそもこのインタビューも、Oとの対談形式にするつもりだったんですが、こんな状況なので代わりにイマジナリーフレンドにやってもらってます。なにこれ会話一人でやってる人怖くね?
 
今時:急に我にかえるのやめてください

赤猫:ごめんなさい。
 
赤猫:......そういえば僕の友人でOに15万払ってパーカー制作を頼んだ奴がいるんですが、そっちも1ヶ月以上何も応答がないみたいです。えー。
 
今時:どうしてもOを貶めたいという悪意をひしひしと感じる

 
MVの話に戻って~
 
 
今時:なんでこんなにコラージュ多いんですか?
 
赤猫:これには三つくらい理由がありまして、
1.Cornelius/HASAMI groupへの敬意
2.途中まで作ってた人の意向
3.サンプリングが多いから
 
順に説明していきましょう。
 
1.Cornelius/HASAMI groupへの敬意
赤猫:
まずこの曲を作るときにイメージしていたのはCornelius「Another View Point」のライブバージョンです。

www.youtube.com

音楽と同期したCMのサンプリングとかのアイデアはここから拝借しています。

 

そしてこの曲全体を支配しているビートはHASAMI group「Sleepwalkers」という曲のものです。
エピゴーネンじゃん?と言われたら否定しても仕切れない引用をしていることは否めませんが、すでにサンプリングに対する見解は述べたのと、ピッチとbpm上げて、上からドラムと般若心経と時報で潰しているのとで許してください。
まあそんなHASAMI groupの十八番といえば、「Sleepwalkers」のMVを見て分かる通り既存の映像のコラージュなわけです。
「Sleepwalkers」のビートを大胆引用したからにはリスペクトの意を込めて映像表現も模写して、途中で出てくるフォントもHASAMI groupがよく使用していた(最近はそうでもないですが)「Impact」にしようという思いがありました。まあ「Impact」自体はWindows標準搭載だし結構使うしいっかなーというのもなくはないです。

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Impact
 
あと裏の事情として、実はImpact回避するためにOの友人に報酬付きでロゴ作成を頼んだんですが、頼んだっきり連絡がなくて、Impact でズドーンってやっとけばカッコいいだろ!えい!(投げやり)というのもあります。*4
 
2.途中まで作ってた人の意向
赤猫:「技術と機材がないから実写で撮るのは難しい」と言われました。アニメーションは言わずもがな。僕も1.3.で述べるような意図があったので同意しました。
ちなみに途中から僕が作ってるので映像のネタのテイストが場所によって違います。基本的に爆破や洋画はOが作ってた部分で、日本の映像やアニメーション、テロップは僕が担当してます。

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編集画面。「オリジナル」がOの手によるもので、それ以外が僕の手によるもの。Oが途中まで作ったものを使ったり使わなかったり、調整したりしなかったりしている。基本的に音ズレが酷かったので鬼編集が施されている。

 

実はこの際曲にもいくつか注文があって、曲の長さの指定と終わり方の指定がありました。曲は3分台、終わりは映像にしやすいようにとのことだったので、〆SAVAの曲をチョキチョキカットして映像化しやすいように起伏を作り、ラストは「カオス→時報でいきなり終わっていたのを「カオス→時報+別れのワルツ」に変えて、映像にしやすく且つしめやか〜に終わるようにしました。「音楽と映像の融合」がテーマだったので改変は別に構わないのです。

 

が、結局OはMVを完成させなかったので、テーマ実現も不完全なものになりました。いつかこのテーマにはもう一度挑戦したいものです。

 

3. サンプリングが多いから
赤猫:これが最大の理由です。1.2.の理由はすべてこの理由があってこそ成立していると言えます。
この曲を表そうとしたらこの表現が一番しっくりくる気がします。 やはりMVはその音楽の内容を視覚的に表すのがセオリーだと思うので、曲のサンプリングが増えるにしたがって映像のサンプリングが増えるのはある意味自然なことであると思います。
 
今時:なるほど。たしかにサンプリングだらけの曲のMVがサンプリングだらけというのは、まあうなずけるかなという気がしないでもないような気がしなくもなくなくないです
 
赤猫:どっちなんだ。
 
 
 
 

おわりに

今時:今作の総括をしろ。良かった点・反省点をそれぞれ述べよ
 
赤猫:(急に命令形だ......。)まず良かった点ですが、リズムの実験は割と成功したのではないかと思います。クオンタイズの揺れもそうですが、ゴーストノートに代表されるベロシティの調整やオーバードライブなどで、打ち込みならではの独特なグルーヴ感の創出に成功した気がします。していてほしい。
あとサンプリングで作った割には自分らしさもそれなりに出ていて、コンピの主題に合った曲は作れたかな、とは思います。(7曲目に収録されているんですが、それまでの曲と比べると明らかに異質でウケます。)
ただその一方で部分部分がHASAMI groupに引っ張られ過ぎなのは否めないです(特にイントロ)。がっつりサンプリングしているからこうなることはわかっていましたし、是正しようとしたんですがあんまり上手くいきませんでした。同じくサンプリングを駆使してはいるものの、特定の曲のサンプリングに依らない「Daydream on the Line」(同コンピ収録)の方が、その点ではこの曲よりも自分らしさを表せている気がします。そこら辺CD買って確認して欲しいですね(突然のダイマ)。
あと折角和声法とか学んでるんだから和声感ある曲作っとけば良かったなと後悔しています。実はこの曲に着手する前に機能和声に基づいたポップス作ろうとして、余りにもつまらない曲が量産され挫折しているのです。
 
今時:大いに反省してください。最後に一言お願いします
 
赤猫:もう誰かに頼むのはこりごりなので次回からMVは自分で作ります。他人を信用しません。そして次回はいろいろな意味で平和な、和声法に基づいた作品を目指します。南無。
 
今時:ではさらば!
 

 

 
 
 
ふと気づくと今時成美の姿は消えていた。彼女のいなくなったスペースがやけに寂しげだと思いかけたが、イマジナリーフレンドなのでそんなことはなく、ただただ気のせいだった。今の僕にはインタビューをイマジナリーフレンドとするのは限りなくイタいということしかわからなかった。
このブログ見た人はついでにCDも買ってくれ(突然のダイマ(2回目))。
 
 
-完-

*1:これは江坂大樹氏の説の援用です。以降の言説は氏やその周囲の論に立脚しています。

*2:ちなみにトヨタなどの大企業には優秀な人間が多数在籍していることは理解しています。ただ、それは工業系の人間であって、文化の担い手の中心たる優秀な文化系の人間がいないのも同様の事実であると認識しています。

*3:ちなみにOの担当箇所にもちゃんと彼なりの意味があることは、彼の名誉のためにも言及したいと思います。ついでに本編では言及しなかったことも詳しく解説しましょう。ただ解説しすぎているので、見ない方が柔軟な解釈ができると思います。(青字がOの部分、黒字が私の部分です)

まず基本的に砂漠は「文化・芸術の砂漠地帯=名古屋」と僕が言及したことに由来しています。ちなみにこれはなごやトリエンナーレの声明文や告知動画に由来するものです。そしてそこに投下される核爆弾は砂漠に現れる一筋の閃光、これはある種の希望であり、また文化の破壊を意味するものとしてもとらえることができるでしょう。その後に細胞分裂の映像が差し込まれることで、「破壊と創造」という彼の解釈が垣間見えます。
しばらく飛んでゾンビのB級映画のシーン、「騒音が人の声をかき消す異常な街に僕は慣れようとしていた」というところにかぶせてきたということは、ゾンビは町のメタファーなのかもしれません。というのはここらへんに挿入するように僕が指示した可能性があるからです。イントロは彼の完全オリジナルですが、それ以降は僕の補助によって映像を配置してたりするので、純粋なる彼の意図とは言い切れないところではあります。
その後の飛行機が鯉になって空を飛ぶシーン、これは彼の仕事ではなくただの僕の趣味です。特に意味はないです。というのもこのシーンになると「みそかつ」「トリエンナーレ」などの具体的な言葉が乱発されるので、映像にも意味を持たせるとお腹一杯になってしまう気がしたからです。ということで映像に意味はないですが、見る人が勝手に意味づけする分には構わないです。
ゾンビ挟んでからは、それまでと打って変わって急に具体的な思想が見え始めますね。これはなんだったかわすれました。で、「名古屋は、バイタリティに満ちた都会です.......」というナレーションとともに、しばらくきれいな夜景を堪能したのちサイケな絵が映って現実をたたきつけるコーナーへと移ります。サイケな絵が挿入される理由は特にわかりませんが、きれいな夜景から汚い現実に切り替わるときの緩衝材として使えるなと思って残しました。
「Illegal Utopia Nagoya」という題字が出るシーン、これはクライマックスに向けて享楽性を重視しています。鯉のシーンと同じで、音楽がもう十分に語ってくれているので映像でそれ以上に語ることはないと判断したからです。従って僕がやることと言えば主に音楽のサンプリングとネタを一致させて、テレビの電波ジャックのように次々と映像を切り替えることでした。
途中大村知事と河村市長が出てきますが、これは「河村の声を右に、大村の声を左に配置してるんだよね~」という話をしたらOがこういう編集をしてくれました。一応言っておくと僕らには右左の思想があるわけではなく、こういうのを列挙したうえで「どう思う?」という問題提起をしたいだけです。どう思いますか。
そして砂漠のシーン、これはMVの最初が最初が砂漠だったので最後も砂漠にしていよいよ終わるぞ、というのもありますし、これまでの話、結局全部砂漠みたいに空虚=名古屋な話なんだよな......。というのもあります。まあ総括みたいなもんですね。すべては砂漠の二文字に集約されます。
最後に猫を映しておわりです。猫はこのRed Cat Theaterというソロユニットの目印みたいなものです。記号ですね。猫可愛い。おしまい。

*4:ロゴ作っていただける方は現在絶賛募集中です。もちろん有償で (値段応相談)。