死と超越

所見・偏見・エトセトラ

成人式と同窓会とそれに付随するn次会について

成人式というものがあるじゃないですか。結論から言うと成人式はクソでしたね。噂通りでした。アレを開く意味は着物業界の存続と同窓会の口実以外ないと思いました。それで十分だって?そうですか......。

成人式

会場に着くと九条の会のババアからよくわからん紙を貰いました。「ちっちゃい子が頑張って漫画を描いたのよ」とか言って手に紙を握らされ、うわー洗礼と思ったんですが、僕は「頑張ったら何なんですか?」という人間ですし、「九条を守ろう!」と言われても「一般市民には九条を守ることはできねえんだよな......万一守りたくなったら国民投票で守るわ」と思ってしまう人間なので、紙飛行機にして「平和への想いを込めて飛ばそう!」とか言って投げまくってました。

最終的に「9.11ゲーム」を開発しました。内容は「紙飛行機をワールドトレードセンタービルに見立てた人間に投げて、当たればテロリスト側の勝利」というくだらないものです。楽しかったです。

 

あと袴は完全にヤンキーチェッカーだったので、着ていかなくてよかったです本当に。

 

肝心の式ですが、「義務教育の敗北」を毎秒味わっていました。なーんにも考えてなかったので適当に後ろの方に座ってたんですが、あれ前の方から順に詰めるじゃないですか、外で無限にたむろしてるヤンのキーが座るのは必然的に後方になるわけですね。うるせえ。多分彼らは人間に進化し損ねた猿か何かです。こんなところで進化論が証明されるとは思ってもいませんでした。ていうかコレが社会の縮図なの、社会ヤバすぎだろ社会マジで?という気持ちです。あと普段は普通に喋ってる市長が声を張り上げて演説しててウケました。

 

式は第一部と第二部に分かれてて、第一部はちゃんとした式で第二部がアトラクションでした。第一部は厳粛な雰囲気で成人を噛み締めるんや......と思ってましたが、先述の通り全然噛みしめられない上に一瞬で終わったので、式とは(哲学)という気持ちになりました。式とは。

第二部のアトラクションはよくわからんマナークイズと人気投票と恩師からのビデオレター的なのでした。中高の文化祭の焼き増し劣化コピーみたいな感じで、正直つまんねーと思って見てました。

マナークイズがつまらないのはまあそうだろうなという感じですが、教師とほとんど話さなかったのでビデオレター見ても恩師......?となりました。たまーにスライドに高校の知り合いの名前が出てくるところだけ楽しかったです。

 

まあなんだかんだ言って暴動とかなくて良かったですけどね、いやあったらあったで楽しかった気もしますが。終了後、特に一緒に行動する友人もいなかったので、高校に寄って楽譜もらってから一人で帰りました。

 

同窓会

中学校編

成人式はクソですし、それよか中学校の同窓会の方が2倍くらい楽しかったです。まあいうて2倍ですが。というのも、まあ楽しかったんですが、友達いね〜となって後半棒立ちしてたからです。なんか想像してたより親しい友人少なかったです。悲しくなりました。あれ?まあ今でも連絡とって会ってる人間片手で収まるからそんなもんかな〜とは思いますが。

それでも知り合いには挨拶とかができました。えらい!でも全然顔がわからない。顔がわからないので声紋認証で名前と一致させました。特に女の子顔が変わりすぎて全然わかんね〜ってなりましたが、後から聞いた話によると整形した人もチラホラいるらしいです。それはわからんわ。

 

これはめちゃくちゃどうでもいい話ですが、同窓会はよくある立食パーティー形式でした。僕はメシよそうのにめっちゃ並ぶのが本当に嫌で、乾杯した直後に皿をとって高速でメシをよそい、みんなが仲良く談笑しながらメシをよそってるときに椅子に座って一人バクバク食ってました。だから友達少ないんだな〜と改めて思いましたね。

 

中学校の同窓会は成人式の2倍楽しかったですが、同窓会の後の二次会三次会はその40倍くらい楽しかったです。ちゃんと友達いました。涙がちょちょ切れますね、ちょちょ切れました。こういうのに付き合ってくれる友人を生涯大切にしたいという気持ちで今あふれてます。人情に厚い人間なので。5年ぶりくらいに会話した人間とかもいて、大変感慨深いものがありますね。あ、俺会話できてる......。的な。そこにたどり着くまでに5年かかるか普通?とも思いますが、ビビりだから仕方ないよなという気もします。僕は基本的に対人恐怖症なのでクソビビりちらすんですよねー人生に多大なる支障をきたしているのでやめたいです。

 

高校編

中学校よりも高校のほうが友人いるし、いけるやろ!と思いましたが、たしかにその通りではありましたがやっぱり後半棒立ちでした。なぜだ。

例のごとく立食パーティだったので、乾杯の音頭の後すぐさま飯をよそい一人でバクバク食べてると思ったでしょう、今回は友人とやりました。そう確かに友人はいた。UMA絶滅危惧種みたいな扱いになっていますが、友人はちゃんといました。その後なつかしの人々に色々会いに行きましたが、2年しか経ってないので中学ほどの変化はなく、すっと会話ができたのがコミュ障にはうれしいポイントです。

しかし数時間も経つと流石に足が疲れます。会場の外に出てソファでくつろぐこと数分。その間にクラス写真が撮られていた。存在が認知されていない。泣きそう。

 

その後クラスメートとカラオケへ。そういえば高校時代、同じクラスの人とどこかへ遊びに行くとかしたことなかったです。業後にどこかへ行くのなんか面倒くさくなっちゃうんですよねー。そんなんだから高校でも話す友達がいないんですね!今気づきました。

その反省も踏まえて大学では誘われたらできる限り遊びに行くようにしています。そこに気がつくまで18年かかりました。おっっっっっっっっっそ。

 

まとめ

見た目は変わるけど、中身変わんないな〜人間そう簡単に変われないなと思いました。良くも悪くも。

あと中学の同窓会にいたヤンキーどもの今後が楽しみです。僕は20年後の君達を見ている(所得格差による顔つきの違い的な意味で)。

 

 

あとこういうこと考えてるから友達少ないんだと思います。